医療従事者だから、んなもん フツーに根付いてるだろ!なんて
幻ー!!!なお話です。
死生観だなんて、あらたまるとすごく重たいテーマですよね。この業界で長らくやってきて同じ職種の知り合いもたくさんできましたが、ちゃんと「これが私の死生観です」という、そんなしっかりとしたものを持っているドクターやナースに会ったことはありません。というか、皆「出さない」だけなのかしら。
もちろん、救命する現場でドタバタな中、ドクターにそれをあれこれ持ち出されても、という感じですし
ペラペラと自分のうちにある「それ」を人様にさらけ出すようなものじゃぁない、という気もしますし、
普通の病棟でするいわゆる世間話ではないですもんね。
そういうこのわたしでさえ、ぼんやりです。
なぜかというと「未知の世界」への想いみたいな感じだからです。「生」は分かる。「死」は分からない。みたいな。
今、分かるのは「医療従事者」だからではなくて、人として「個体」として生まれ育った様々な過程のなかで得たものと、この仕事に触れて経験したものを自分の中で自分なりにすり合わせながら
「死とは何なのか 生とは、生きることとは何なのか」
ってことを日々アップデートしている感じなのかな、と思います。だから今、これかな?っておもえる自分なりの死生観は
医療従事者の死生観ではなくて「人として」の死生観です。魔女的には・・・ハテナ?です(笑)
ある時、結構プライベートで ですが、ドクターという職業をやっている人に聞いたことがあるんです。いわゆるパートナーです。「私が死んだら、どう思う?」って聞くと、
「びっくりする」というこれまたびっくりな感想が返ってきました。笑いました・・そこには好きとか愛とか悲しいとか虚しいとか、そんな「感情」は抜きで
「ただただ、びっくりする」・・なんですね、、、
確かに。近しい人の死は驚愕、ショックですもんね。
はい、会話終了。
また、別人物の同僚ドクターに「あした、地球が滅びるってなったらどーする?」って聞くと「え? 死んだことないからわからんわ」
・・・・・た、確かに。ご、ごめん(嫌われてんのか?笑)。。そこで会話は途切れます。
あとは患者さんへのケアに関してドクターとの振り返りの時、「すごく苦しい苦しいって言ってて何とかしたかったけど、ご家族が到着するまでまだ何もしないでってことだったからその間のケアへの葛藤があった」という主旨の話をしたら
「そんな、さっさとセデーションでしょ、セデーション!」(ご家族到着前に呼吸停止になりかねない・・)まぁ言い方の問題もありますが、立場も何も考えずただ自分がその患者さんだったら、という話だけだったらそれが一番の治療なんですけど(たぶん)、そのあたりは洗練された言い回しをしてほしいですよ。
そんな医療従事者がたまに飲み会の席などで口をそろえていうのは「ピンコロ」がいい(ぴんぴんコロリ、、、って急変じゃぁないか!)。
とか、「がん宣告はショックだけど、死因はがんがいい」とか。(死というゴールに至るまで少しの期間猶予があるから?でも受診してなかったらゴールわかんなくね?)それは自由ですが、病棟でさまざまなケースを見てきてトータルで考えて自分はこんな死に方をしたいな、という漠然としたイメージは持っているのでしょうね。
「死」を伴うワードはネガティブイメージに繋がるのか(まぁ100%繋がりますね)、避けがちです。医療従事者にだってその傾向はあります。気持ちが落ちていたり、想定外にひどい風を患ったり体調が急降下しているときにはふと、死は近寄ってきます。
いつ? 怖いの? 痛いの? 苦しいの? どんな世界に行く?
とても未知すぎて恐怖。
生と死に一番近くで接しているわたしたちにでさえ、考えれば考えるほどネガティブが付きまとう「死」というワードです。