人として。の死生観②

正月早々重たい話やなー

とは、感じません。魔女だからでしょうか。小賢しいからでしょうか。魔女的にはやはり気になることトップ3に入ることです

生きること・・・決して平たんな道じゃぁない、一歩進んで二歩下がる(演歌か)。今ここ、で結構必死で生きているから。必死だけど、でもそこに夢や希望があったり「こうなりたい、こうしたい」というポジティブなイメージで「生」を捉えます。

死生観なんてどーでもいいわってなってるのって、もうすごく必死すぎて・・・食べて、仕事して、寝て の繰り返しで
死とか生とか考えてるヒマないわー!!!っていう働き盛りの方や、まだ社会人になって間もない方、育児や家事に追われている方などめちゃくちゃ日々頑張っておられる方や
片や、「もう何にもすることなーい」って何にも考えずに悠々自適?に過ごしている方(・・・いるのか?)だったりするのでしょうか。でもそんな方々にも、ふっと近寄ってきますよね、TVから悲劇的なニュースが流れてきた瞬間とか。自分も、死んだらどうなるんだろう・・って。

ここで何が一番言いたいかっていうと
誰もこの日本でしっかりとした「死生観」を学びましたんで!!!という人ってあまりいないんだと思っています。例えば宗教学者・社会学者で、ちゃんとその道を学んだ人でない限り難しいですよ。

道徳の授業で時々命について考えるカリキュラムがありますが、
生命について学ぶときには、例えば「自然妊娠で胎児に育つまでの確率は20%くらいのもので、本当に奇跡なことなんだ」「だからすごい確率で生まれてきたから、生まれてきてくれただけでも100%なんだよ」みたいな話にまとめられてくるとは思うんですけど

じゃぁ、どうしてイジメや過労、病気を苦にしての自殺が絶えないかって

そのすごい確率で生を受けた大切な存在としての自分を自己肯定できる環境にないからではないでしょうか自己肯定感は、とても大切 だけどそれをゲットするには困難な環境にいる人のほうが大多数な現代社会です。根本的にはこのいまの日本の社会問題といっても過言ではないと思っています、といって
何にもできない魔女ですが。


でも魔女は呪文を唱えます 「だいじょうぶ だいじょうぶ わたしならできる」 「わたしだからだいじょうぶ」 
堕ちそうになった時、唱えてみましょう。
だいじょうぶ、という言葉はつらい状況の患者さんにも
時に笑顔を咲かせます。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です